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東京地方裁判所 平成5年(タ)196号 判決

本訴原告・反訴被告(以下「原告」という。)

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

上野雅祥

本訴被告・反訴原告(以下「被告」という。)

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

津谷信治

主文

一  本訴につき、

原告と被告を離縁する。

二  反訴につき、

1  原告と被告を離縁する。

2  被告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴及び反訴を通じ、全部被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  本訴

1  主文第一項と同旨

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  反訴

1  主文第二項1と同旨

2  原告は、被告に対し、一五〇〇万円及びこれに対する平成五年四月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、養親の原告と養子の被告が、互いに離縁を求め、さらに、被告が離縁に伴う財産分与ないし慰謝料を求めた事件である。

二  前提となる事実

甲第一ないし第四、第六、第七号証及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

原告(明治四三年七月二一日生)及び亡妻シヨ(大正三年八月九日生、昭和五一年一月一〇日死亡)は、シヨの実妹の被告(昭和四年三月三〇日生)と昭和三二年一一月二一日、養子縁組をし、さらに同年一二月四日、亡木本德男(昭和二年一月一一日生、平成二年三月二三日死亡)と養子縁組をした。そして、被告と亡德男は、同日、婚姻した。被告及び亡德男は、昭和六二年一二月二三日、乙川隆久(昭和三〇年九月二五日生)と養子縁組をしたが、その後二人の間に長女麻理(昭和三四年一一月二日生)が生まれた。原告は、亡シヨ死亡後の昭和五三年五月一三日、丙沢千鶴子(昭和六年八月六日生)と婚姻した。原告は、亡德男との死後離縁について東京家庭裁判所の許可の審判を受け、平成五年二月一九日、離縁の届出をした。

三  原告の主張

原告及び亡シヨは、四人の子供をもうけたが、いずれも幼少時に亡くしたため、老後の世話や祭祀の承継をしてもらうために被告及び亡德男と養子縁組をし、被告及び亡德男が婚姻した直後から原告所有の旧建物で同居を始めた。しかし、当初から被告と亡シヨは喧嘩口論が絶えず、別居を考えたこともあった。昭和四三年以降被告に家計を任せてからも、原告が会社の給与、アパート収入及び厚生年金等の中から、原告及び亡シヨの食費や旧建物の修理費用、旧建物の借地料及び租税公課等の一切を負担した。

昭和五一年四月、亡德男が原告にいきなり暴言を浴びせたことがあったが、そのころから、被告も亡德男と一緒になって原告に対して非常識な言動をしたり、侮辱するような態度をとったりするようになったため、双方の関係は次第に険悪な雰囲気になった。原告は、被告及び亡德男と生涯一緒に暮らすつもりであったので、二世帯住宅を建てる予定であったが、被告及び亡德男は、昭和五二年九月二三日、事前の相談もなく、原告を一人残したまま神奈川県大和市に建物を新築して転居してしまった。右新築費用は、原告及び亡シヨとの同居期間中に貯えたものや、亡シヨ名義の土地を売却した代金等から捻出されたものである。しかも、転居以来今日までの間、被告及び亡德男は、原告には一切連絡をせず、過去十数年間にわたって音信不通の状態を続け、亡德男が死亡した事実も、偶然に会った原告の妹から知らされたもので、被告は、その口止めまでしていたことが判明した。さらに、被告及び亡德男は、亡シヨの法事に一度も出席しなかった。原告は、亡シヨの墓をその後先祖の墓地に移し、被告及び亡德男に手紙でその旨を連絡したのに、被告及び亡德男は一度も墓参りをしなかった。

そこで、原告は、被告との離縁を決意し、横浜家庭裁判所に調停を申し立てたが、同年一一月二八日、不成立に終わった。なお、亡德男については、東京家庭裁判所に死後離縁の許可の申立てを行っていたところ、同裁判所から離縁許可の審判を受け、その後確定したので、原告は、平成五年二月一九日、離縁の届出をした。

以上のとおり原告と被告の縁組は完全に破綻しており、民法八一四条一項三号所定の離縁原因に該当する。

四  被告の主張

被告及び亡德男は、婚姻直後から原告及び亡シヨと、被告の実父が建てた旧建物で同居するようになったが、一家の家計は亡德男の公務員としての収入によって支えられ、終始一貫して被告及び亡德男が建物の維持管理、日常の費用等を負担していたもので、原告は借地料と固定資産税を負担していたに過ぎない。

原告及び亡シヨと被告及び亡德男の間には、口論するような事情はなく、むしろ原告が亡シヨに対して不都合な行為をしたり、金銭上の問題を起こしたために両者の関係が険悪になり、特に昭和三二年ころからは喧嘩口論が絶えなかったため、被告及び亡德男がそのとばっちりを受けたというのが実状である。原告は、昭和四〇年ころから理由もなく家族と食事をしなくなり、昭和五一年秋ころ、被告及び亡德男に対し、「この家を壊して一人でアパートで暮らしたい」などと言い出したので、被告及び亡德男は、困惑して親族に相談した結果、止むを得ず被告及び亡德男の方が家を出ることになり、金融機関の住宅ローン及び親族からの借金等で代金を調達して大和市内の建物を買い受け、昭和五二年九月二三日に転居したものである。

原告から亡シヨの三回忌の法要について連絡はなかったし、原告は昭和五六年に亡シヨの墓地を無断で移転してしまった。

以上のとおり、被告及び亡德男は、原告から悪意で遺棄されたものであって、原告と被告の縁組は完全に破綻しており、その責任は専ら原告にあり、民法八一四条一項一号ないし三号所定の離縁原因がある。

原告は、借地権約三三〇平方メートル、同地上の新建物(原告の現住所地の建物)約一九八平方メートル及び賃貸アパート約一三二平方メートルを所有しているところ、被告は、原告に対し、離縁に伴う財産分与請求ないし慰謝料請求として一五〇〇万円及びこれに対する平成五年四月一七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  当裁判所の判断

一  前記前提となる事実に、甲第五、第一〇号証、乙第七号証の一ないし三、第一〇、第一一、第一八号証及び原告、被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  原告及び亡シヨは、昭和一三年一月二一日に婚姻し、二人の間に四人の子供が生まれたが、そのうち三人は疎開先で死亡し、更にただ一人残った二男も、昭和二六年に水死したため、後継ぎがいなくなってしまった。

原告は、戦前徴用されていたが、終戦に伴う徴用解除によって、以前勤務していた東京ガスに復帰した。そして、昭和四〇年七月に定年退職した後は同会社の嘱託となったが、昭和五三年七月にはそれも辞めた。一方、亡シヨは、一貫して専業の主婦であった。

原告は、昭和二七年一〇月、会社や親族等から借り受けた資金で借地(現住所地)上に二階建ての旧建物を建築し、亡シヨ及び当時会社勤務をしていた亡シヨの実妹の被告と一緒に住むようになった。原告及び亡シヨは、昭和三二年一一月二一日に被告と養子縁組をした。被告との縁組は、前記のとおり相次いで子供を亡くして淋しさの極にあった原告及び亡シヨが、気心がよく分かっていた被告を養子にもらうことを希望し、被告の両親もこれに賛成したことから成立したものであった。

被告は、同年一二月四日、法務省勤務の亡德男と婚姻したので、原告及び亡シヨは、亡德男と同日、養子縁組をし、それ以後は四人が旧建物で一緒に生活するようになった。被告は、婚姻後勤めを辞めた。

2  原告及び亡シヨと被告及び亡德男の同居生活は、当初は比較的平穏で、原告が給与やアパート収入の中から家族全員の生活費を負担し、亡德男も給与の中から一部を負担していた。ときたま四人の間で意見が食い違って言い争うこともあったが、それが大きなしこりになる程のものではなかった。ただ以前原告が亡シヨの別の実妹に対して好ましくない行動をとったことが、その後になって亡シヨの知るところとなり、その際には原告と亡シヨが口論したことはあったが、それ以上に深刻な事態にはならなかった。

3  原告は、昭和五一年一月一〇日に亡シヨを亡くしたが、そのころから次第に被告及び亡德男との日常の会話が途絶えがちになり、顔を合わせて一緒に食事をするのも避けるようになった。昭和五二年に原告が旧建物の改築を考えたが、双方の意見が異なったため、それを契機として、一層感情的に対立するようになり、結局、被告及び亡德男は、原告とはこれ以上一緒に仲良く住むことができないと考えて、原告に事前の相談をせずに大和市内の土地建物を買い受け、原告一人を残したまま、同年九月二三日、子供を連れて転居してしまった。

原告は、昭和五三年五月一三日、妻千鶴子と婚姻した。

4  被告及び亡德男は、大和市に転居して以来本件訴訟提起に至るまでの十数年間、原告の生活状況や健康状態を心配して原告を訪ねたり、あるいは原告に電話を架けて近況を尋ねたり、手紙を出すなどのことは一切しておらず、たまに親族の集まりなどの会合で偶然に顔を会わせた際に、言葉を交わす程度のことがあった以外には、いわば事実上音信不通の状態に放置していた。

一方、原告も、自分からは一切連絡を取ろうとはしなかった。被告及び亡德男は、原告に断らずに亡シヨの三回忌を執り行ったため、原告は、別途に亡シヨの法事を行ったが、被告及び亡德男を呼ばなかったし、また、被告及び亡德男に相談しないで亡シヨの墓所を先祖の場所に移転した。亡德男は、平成二年三月二三日に死亡したが、原告は、被告からは何の連絡も受けておらず、平成四年になって、偶然親族からその事実を聞かされて初めて知った。

5  このような状態が長期間にわたって継続したため、原告は、被告との離縁を決意し、平成四年横浜家庭裁判所に離縁の調停を申し立てたが、同年一一月、不調に終わった。

現在においては、原告、被告双方とも離縁を希望している。

二  民法八一四条一項三号にいわゆる「縁組を継続し難い重大な事由」とは、養親子としての精神的、経済的生活関係を維持ないし回復することが極めて困難な状態に破綻している事由がある場合をいうのであり、当事者双方又は一方の有責事由に限られないと解される。

これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、原告と被告の間には、最早経済的な扶養扶助の関係はなく、通常の社会生活上一般にみられる親子の情誼ないし精神的な繋がりは全く失われているものといわざるを得ないから、既に原告と被告の縁組は完全に破綻しており、民法八一四条一項三号所定の離縁原因があるものというべきである。しかしながら、被告が主張するように民法八一四条一項一号所定の離縁原因があるものとは認めることができない。

したがって、原告及び被告の各離縁の請求は理由がある。

三  ところで、被告は財産分与の請求をするが、現行民法には、離婚による財産分与請求に関する規定を、離縁について準用する旨の規定はないし、これを実質的意義から考えても、夫婦間においては、互いに協力して財産を形成する関係があるのに対して、養親子間においては、これと同様の関係は存しないのであるから、両者を同一視することはできないのであって、そこに準用規定を置かなかった立法者の意思があるものと考えられる。したがって、被告の右請求は理由がない。

四  次に、被告は、慰謝料の請求をするところ、離縁についても、縁組によって期待された合理的な親子関係が破綻したことによって精神的な苦痛を被った場合には、慰謝料請求権が発生するというべきであるが、養親子関係は、夫婦関係とは異なって人間関係の緊密度が比較的薄く、したがって破綻によって受ける苦痛の程度も、離婚の場合に比較して一般的に低いということができる。

これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、原告と被告は、既に十数年間にわたっていわば音信不通の状態にあって、互いに親子の情愛はもとより、交際もなく、経済的な扶養扶助の関係もないのであるから、離縁によって被告が精神的苦痛を受けると認められるべき事情は特段存しないといわざるを得ない。したがって、被告の右請求は理由がない。

第四  結び

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官大藤敏)

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